夢の中で夢をみながら

ただ書き綴っていたい

マナーを守る理由をマナーそのものに求めてはいけない

 「マナー(道徳)を守って立派な人になりましょう」と、小学校の頃から教えられてきた。ところで、なぜマナーや道徳を守るべきなのか。

 

 マナーや道徳が目指すところは、たくさんの人と交流しながら生きていく中で、お互いにストレスなく交流すること。そのためにお互いに自分の欲求の一部を抑えて、譲り合うことを求めているのではないだろうか。

 

 目的地から考えると、道徳は時代によって、社会によって変化して当然に思える。なぜなら、人間は少しずつ変化しているから。

 

 ところが、「道徳は“そう決められているから”守らないといけない」という人もいる。私はそれが無益どころか、場合によっては害になると思う。

 

 現実に適合していないケースはたくさんある。例えば、携帯電話の優先席での使用(通話以外ね)。または、同性婚の問題(社会秩序への影響の問題はないと私は思う)。私はどちらかというと嫌煙派だけど、副流煙が抑えられるタバコだけになれば、禁煙席は不要だろう。

 

 つまり、「このマナーは昔からあるのだから、当然今も継続するべき」という考えはバカバカしいと思っている。現状維持は考えなくていいから楽なのだけど、それは理性的な行動だろうか。

 

 ずーっと昔から語られているであろう一種の道徳論を、インターネットの片隅から発信してみた。